くそ浪人最後のひとふで

東大合格を「反省」する。

【東大合格体験記】くそ浪人最後のひとふで

 
 迷える受験生に捧ぐ

 これはふざけたくそ浪人による勉強法模索の旅路――

 

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 サクラサク季節である。


 私は2019年春に東京大学理科一類に合格した。一浪である。現役の頃はただ平凡で怠惰な受験生であって特筆すべき事項もないが、一浪時代に経験したことに関してはどこかに書き残したくなった。


 初めに言っておく。私は大学数学ばかりを勉強したり、東大二次の英語の一部をフランス語に差し替えたりと、あまり一般的ではない戦法を取り続けた。ゆえに、以下に書き記す内容は、きっと珍しい事例なのであろうと思う。これを参考にするかを決めるのはあなた自身であるが、私はその責任を一切負わない。ただ、世界にはこのような人が確かにいたのだということを知ってもらいたくなったのである。

 

目次

 ※「前書き」に基本的なスタンスが書いてありますので初めにご一読ください。「合格体験記」は受験と関連性の低いただの自分語りを相当量含むと思われるので、それに興味のない方は「前書き」の最後の行のリンクから「合格までに実践した勉強スタイル」へ飛んでください。

 

【重要】前書き 美談にあらぬ合格体験記

 具体的な体験談に先駆けて、私が一浪の間に実行したことをざっくり書いておく。いわゆるネタバレのようなものになるのであろうが、私の体験をまるで時間を忘れて読んでしまうほど愉快な小説のように仔細に読み込んでくれる方ばかりではないと思うから、せめて以下に書くことだけでも誰かに話したい。体験記であるのでご容赦いただきたいが、要するにひたすら自分語りをするだけである。畢竟、そのような自己顕示欲を抑えられなかったのである。

 

私の勉強スタイル

・高校の友達が一人もいない状態で宅浪になる
・一年の勉強時間の半分を大学レベルの数学及び物理に割く
・受験勉強を本格的には秋から始めた上、取り組んだ問題集の冊数が少ない
・東大の外国語の試験の一部を英語からフランス語へ差し替える

 

 要約すればこのようなことをやってきた。


 先に言っておくが、これは美談でも何でもない。むしろ、「終わりよければすべてよし」とでも言いたそうな嘘くさい合格体験記の数々が私は苦手である。また、ここには確かに合格までの体験記は書いてあるが、東大に合格するための勉強法を指南するようなものではない。私は結果的に受かったものの、失敗したところや反省すべきところは多々あって、喜びよりも悔しさの方が大きいくらいなのである。そして私の勉強法を真似して受かる人も少なかろうから、「とにかく大学に受かりたい」ということを第一義に考えている人は、どうか私のような人間に心を乱されることがないようにしていただきたい。これは高校や予備校の言うやり方がどうしてもしっくり来ないあなたに向けた、とある怠惰な浪人生の回想である。これから大学受験であれそれ以外であれ、何かを勉強しようとしている方は、私の真似をするのでもなく、予備校などを妄信するのでもなく、どうか自分に合った勉強法を模索して悩み抜いていただきたい。

 

 余談であるが、受験勉強の息抜きにおすすめなのが『アイドルマスター』である。私は『ミリオンライブ』『シンデレラガールズ』『シャイニーカラーズ』の3シリーズを追っているが、あなたもきっと魅力的なアイドルに出会ってどんどん引き込まれていくに違いない。私は自分の担当アイドルたちに支えられて東京大学に合格することができたので、あなたもアイドルたちと共に高みを目指していってもらいたい。宣伝は基本。CMはこれで終わりである。

 

「合格までに実践した勉強スタイル」はこちら

 

合格体験記

序章 不合格は必然に(2018年2月~3月)

 現役の頃は無謀にも東大理一しか出願しなかったが、あっさり落ちた。出願する頃にはほとんど浪人を確信していたような気がする。合格最低点を40点くらい下回っていた。ちなみにセンター試験の得点はリスニング抜きで780点であった(東大はセンターのリスニングを見ない)。


 入試の本番直前に現役合格を諦め、その頃から一浪時の計画を考え始めた。この頃は最初なのでセンター830点とか東大実戦冊子掲載とか高い目標を掲げていたが、実際は達成に遠く及ばなかった。計画を一頻り立てると、後は旅行の計画などを考えていた。


 私は大阪の出身である。「どうせ受からない」と思いながら新幹線で東大まで受けに行ったあの数日ほど惨めな思いをした日は滅多にあるものではない。その惨めさは、私の意識を東大から遠ざけさせた。


 帰りの新幹線で、自転車で京都大学に通う自分を夢想したことをたいへんよく記憶している。あまりに歯が立たなかったために、防衛機制として東大を忘れ、志望校を京大に変えたくなったのであった。以後、志望校は出願ぎりぎりまで迷い続けることとなる。


 さて、一浪生活が始まった。多くの受験生がここで予備校に入る選択を取るのかもしれないが、私は宅浪を選んだ。迷いはあまりなかった。その代わりにZ会の通信教育を取ってみたが、これも結局ほとんどやることはなく途中でやめた。取っていた事実を自分でも忘れていたほどであった。


 この時点の私は、一浪の間は数学と英語を頑張ろうと考えていた。さりとていきなり受験勉強のやる気が起こることはなかったので、それ以外のわかりやすい目標と締切を設けるために検定を受けることにした。ここで受けたのは英検と数検である。


 4月、私は英検準1級と数検1級に申し込んだ。試験日は確か、英検が先で数検が後、数検の方は7月下旬であったと思う。これでとりあえず冠模試のない7月までの間にもわかりやすい目標設定ができたと私は考えていた。


 英検は流石に有名なので割愛させてもらうが、数検についてはご存知でない方もいるであろうから軽く説明しておく。数検1級は、1級というからにはもちろんこの検定の中で最も難易度の高いものなのだが、その内容は主に理・工学部生が大学一年生の間に習うようなものである。即ち、線形代数、多変数関数の微積分、統計学、簡単な常微分方程式あたりが主な試験範囲となる。ちなみに私は仮面浪人ではなく、純粋な浪人であり宅浪であったので、大学内容は完全なる独学であった。


 かくして浪人生活が始まる。ここから当分、大学入試を対象とした問題集を開くことは一切ない。私は初めからこのような調子であった……。

 

 ここで明記しておく。私の一浪の間の総勉強量のうち、少なくとも半分程度は大学内容であると言えるだろう。しかも単位取得に追われる仮面浪人ではなく、純浪で、だ。この経験は、私の数学や理科に対する認識を大きく覆すことになり、一浪の間で最も有益な学びとなった。ほとんどそのことを書きたくて筆を執ったと言っても過言ではあるまい。それからもう一つ、私は不思議と国語ができて、ろくに勉強していなかった現役の時点で理系国語の得点が50点もあった。ゆえに一年間国語の勉強をしないということは真っ先に決定したし、事実しなかった。

 

一章 受験勉強を忘れて(2018年3月~7月)

 3月下旬から、自宅の自室に引き篭って、数検の勉強のために大学数学を始めた。この頃にやっていたのは初学者向けのそこまで詳しくはない本で、ちゃんとした数学科の方が見ればややもすれば厳密性に欠けるものであったかもしれない。この時点で私はまだ数学の論理的な要素をあまり意識していなかったように思う。数学の論理性にまつわることは、高校までの数学と大学からの数学の間に横たわる溝であろう。私が論理に着目しようと考え始めるのは後のことである。


 4月は数学ばかりしていて、5月になる頃から英語をやった記憶がある。英検準1級の単語帳を覚え、Weblioの語彙力測定テストなどを活用していた。単語帳以外のものをやった記憶がほとんどない。直前になって本番形式の問題集を解いていたが、出来は微妙であった。


 この頃は一日一日が長くて長くて仕方がなかった。今でもずっと、浪人の一年間はあまりに長く、三年くらいは経過した気がしたなどと思っているが、それは恐らくこの頃の記憶によるところが大きかろう。浪人生の春の過ごし方については、未だに正解らしき正解を見出せないまである。


 また、この頃東大の五月祭に遊びに行った。オープンキャンパスは高校生の頃に行っていたが、文化祭に行ったことがなかったので試しに行ってみたかったのである。しかし文化祭の雰囲気は私の趣味ではない。結局早めに撤退して、Twitterで繋がりのある東京の友人と遊んだりしていた。


 6月になり、迎えた英検の一次試験(筆記)本番。結局単語帳を一周終わらせることすら叶わず、自信はあまりなかったが、一次試験を合格した。スコアは本当にぎりぎりというわけでもなく、まずまずであった。同じく二次試験(面接)もろくに勉強しなかったが、会話が極度に苦手な私でも精一杯何かを喋ったら合格にしてくれた。英検準1級はさほど勉強しなかった割にはあっさり合格した。


 ちなみに私はシンガポール帰りの帰国子女である。シンガポール英語圏(イギリス英語系)であるが、日本人学校出身なので、英語を使う機会は少なかったし、事実ろくに話せない。ただ、もしかするとこの海外経験が多少なりとも英語力向上に効果をもたらしている可能性があるので、念のため嘘偽りなく記述しておくことにする。


 5月や6月は英語の勉強をしていたかのように書いているが、実際にはこの間も割と数学の勉強をしていた。だから英語の勉強をしていた記憶は本当にほとんどない……。英検の二次試験が終わった頃には理論的な部分をかなり理解したと思っていて、数検1級用の問題集でひたすら演習していた。結局、数検の試験本番まで、ほとんど線形代数微積分だけをしていたと思う。この二つをやっていれば特に問題はないだろうと甘く見ていたのだ。そして直前になって過去問を解いて、焦った。統計は一度は学習したはずであるが定着しておらず、また微分方程式などはこの時点でほとんどしていなかったので、その辺りの問題がまるで解けなかった。不安なまま試験当日を向かえた。


 数検1級は60分の一次試験(答えのみを書く計算問題)と120分の二次試験(記述問題)に分かれているが、これを一日でまとめて行う。どちらか一方のみ合格点に達した場合は、次回以降で合格点に達しなかった方の試験の身を受ければよいという形式である。私はこのとき、一次試験にのみ合格した。一次試験に合格しているだけ、基本的な行列の計算などはできるようになっていたらしいが、二次試験に関しては散々な結果であった。


 この頃は、数日ごとに志望校を変えていたような気がする。東大志望を名乗った数日後には京大志望を名乗り、その数日後にはまた東大志望を名乗るような始末であった。Twitterのbioには常に「UTS1or京理志望」と書いていた。また、この頃までは本当に受験勉強を一切していなかったので、受験生たちと会話することもほとんどなく、ひっそり一人で勉強していた。

 

二章 それでも私は宅浪を選ぶ(2018年8月~9月)

 前回の入試が終わってから5ヶ月の月日が流れた。激しく存在を主張する太陽の熱量に、かつては期待の膨らんだはずの夏である。8月になれば、駿台の実戦模試と河合塾のオープン模試がある。私は焦った。数検が終わった頃には、もうすぐそこに模試が迫っていたのだから。こんなことはすべてわかりきったことであった。


 模試は基本的に冠模試しか受けないつもりであった。夏は東大・京大のオープン・実戦の計4つの模試を受けた。秋の話はまた後ですることにしよう。この頃から流石に受験勉強らしい勉強を始めようと決意するが、なかなかやる気が起きぬ。結局8月の間はほとんど勉強した記憶がなく、ずっと何かゲームをしたりしていたと思う。模試を受けて、あまりに理科(物理・化学)を忘却していることに気付いても、勉強のやる気があまりにないために少しも改善させられないまま4つの模試をすべて終えた。判定は大体東大理一がC判定で京大理学部がB判定だったと思うが、どれか一つの模試に関しては失敗してDかEを取ってしまったような気もする。細かいことは抜きにして、この時点での実力は大体このくらいであった。


 しかし、問題はこの時点での模試の結果ではない。私がこのとき最も焦ったことは、とにかく勉強のやる気がまるで起きないことであった。8月末、一年間でこのときだけは宅浪という選択に対して不安を抱いたことを覚えている。


 私は、ここまでの供述で既に垣間見えているように、やれと言われたことができず、好き勝手にやりたいことをやるしかできない人間である。予備校という施設は向いていないであろうという予感はあった。それでも、今この瞬間にただ寝転んでゲームをして過ごしていることへの罪悪感の方が遥かに大きくなり、環境を変えなければと強く思った。このときに考えた選択肢は、予備校に通うことと、図書館に通うこと、この二択であった。しかしこの時点では、図書館に通って自習することと自室で自習することの何が違うのか、と図書館を軽く見ていたのである。私は予備校に通うことを決意した。


 私は河合塾大阪校に9月から入学することになった。この時点ではどちらかというと東大志望であったので、東大理系志望として入ることになったが、大阪を初めとする近畿地方では京大志望が圧倒的にマジョリティであるから、周りは京大志望ばかりであった。東大に行ける学力があっても京大に行くという人は大阪には実際よくいるし、わざわざ近所の京大ではなくて遠方の東大を目指すという人は(灘を除けば)少ない。


 結論から言えば、私は一週間で予備校をやめた。授業を受けてすぐに思った。「これは自分の勉強スタイルに合わない」この違和感は相当に強烈なものであった。授業が始まったその次の日にはもう授業を欠席し始めるくらいに、まったく合わないと強く思ったのである。ここで図書館通いというもう一つの選択肢を私は思い出した。私は予備校の授業をサボタージュして、大阪市立中央図書館を訪れた。


 衝撃を受けた。鈍器で殴られたようとか、稲妻に打たれたようとか、そういった類のものである。そこには無料で使用できて、自分で買った問題集などもいくらでも持ち込めて、自由に勉強してよいブース型の自習室があった。それもかなり広く、席数が多いのである。今まで図書館をあまり利用したことがなかった私は、この時初めてこの場所を知ったのである。関係者各位にはたいへん申し訳ないのであるが、私は河合塾に通うことが俄然馬鹿馬鹿しくなった。予備校に莫大な学費を払わなくても、予備校にあるものと同じくらいのクオリティの自習室が無料で使用できるのだから。関西の受験生には是非おすすめしたい勉強場所である。


 ただし土日は混雑し、座席がかなり埋まっていることが多かったので、休日はカフェで勉強する日が増えていった。カフェの立地としては、梅田や難波といった繁華街もまた土日は非常に混雑するので、本町・淀屋橋あたりや南森町天満橋あたりのオフィス街にいることが多かった。関西の人には、特に本町界隈のカフェを薦めておくことにしてカフェの話を終える。


「受かった」試しに図書館を訪れた日にそう思った。私はさながら定期テスト前日の高校生のように、謎の自信が込み上げたことをよく覚えている。ああ、東大受かった。ここまでの半年間ほぼ受験勉強をせず、冠模試もC判定しか取れていない人間の言うことではなかろう……。


 私は残りの半年をここに通い詰めることに決めた。予備校はすぐやめた。月単位の契約であるらしいので、やめたのは9月末ということになるが、実際に私は一週間授業を受けた後はついぞ一回も授業を受けずにすべて欠席した。9月下旬にはもう自分が予備校生であったことをすっかり忘れていた。これを書いている今も、自分がたった一週間だけでも予備校生であったなんて嘘くさい感じがするくらいである。


 余談であるが、この頃一度京大の特色入試を考えた。京理特色の狭き門を潜って数強になりたかったのである。しかし、理学部特色入試の過去問を眺めて、その淡い期待は泡と消えた。わかっていたことではあったが、京理特色の数学の難易度は入試問題として別格である。数弱は数弱らしく、大人しく一般入試の東大や京大の数学を解こうと思って引き下がった。

 

三章 現実逃避も程々に(2018年9月~11月)

 9月中旬から図書館で勉強を始めた。とんでもなく捗ったかといえば、言うほどでもないが、それでも自室にこもっていた頃を思えば一定の進捗があった。このとき、私は物理の理解をしっかり深めたくて、図書館にある大学レベルの教科書を開きながら入試問題を解くというスタイルであった。このスタイルはしばらく続く。この頃にやっていた物理の問題集は『理論物理への道標』である。私は一浪の間、受験物理の問題集としてはほとんどこの二冊(上下巻)しかしなかった。


 物理が楽しくなってしばらくやっていたが、ここで段々と大学内容をもっと学びたくなってきて目的が逸れていくのが私の性である。大人しく受験勉強のみをしているなどということはおよそ不可能なことであった。10月になって、私はすっかり受験勉強をやめた。大学数学と大学物理だけを勉強するようになったのである。また、数検1級の一次試験のみ合格で二次試験は不合格という不完全さが甚だ気持ち悪く、数検1級をもう一度申し込んで、二次試験向けの勉強をもしていた。前回あまり手をつけられなかった常微分方程式あたりがメインであった。


 10月に勉強していたことは、常微分方程式複素解析、ベクトル解析あたりであった。ただし、教科書一冊をすべて終わらせることができず、中途半端に2/3くらいを学習したものもあるので、これらの科目の理解は線形代数ほど定着しているわけではない。複素解析などは確かに問題演習もして一旦は解けるようになったが、今となっては復習の強い必要性に駆られるばかりである。また、ベクトル解析は電磁気学を理解しようと思って軽く概要を学んだ程度なので、それを物理の道具としてではなく数学として見た場合には、いよいよ勉強したと言っていいか怪しい程度の理解度であった。また、これより少し前の夏頃に群論をやりかけたような気もするが、それもほとんど定着しなかった。


 それからもう一つ、このとき私は、集合と位相という科目があることを知り、試しに教科書を見てみることにした。そこで私はパラダイムシフトに出会った。青二才のおこがましい感想であるが、当時の私は数学の正体のようなものを垣間見た気がしたのである。いや、これは確か冬に入ってから思うことである。この時点では、そこに書かれてあることがひどく抽象的でほとんど何もわからないという感想しか抱けなかったはずだ。


 ここで集合論・位相論に出会ったことは、私にさらに別の方向へ舵を切らせることになる。私は数学を初めとして学問には論理性が重要であることを弁えていたつもりであったが、そんなものは思い込みに過ぎないと気付かされた。集合・位相論については、一度投げ出してから11月後半か12月前半あたりに再開したと思うが、これも半分くらいを読んでその部分だけ理解した気になったという程度であって、B2レベルの内容として完全に理解したとは口が裂けても言えないレベルであった。特に選択公理のことがさっぱりわからなくていくつかの文献やサイトをあたってもやはりわからなかった記憶がある。それでも、数学においてはきっとこういった抽象的な論理が重要なのであろうと気付けただけでもたいへん大きな収穫であった。


 また、この頃の志望校はかなり京大に傾いていた。10月は受験勉強の強制される感覚にほとほと参って、趣味としての勉強をしてあわよくば京大、だめならそれも仕方ないくらいの投げ遣りな思いであった。11月の冠模試のうち、東大模試と京大模試が被る日があったが、その日に関しては京大模試を申し込んだ。


 もう一つ、秋頃に特筆すべきことは、Twitterで浪人生たちと割とよく会話していたことである。私は浪人界隈というものへの帰属意識などはないし、界隈の大物とかそんなものにも興味はなかったから、同じく特別有名ではない浪人生たちと受験の話やアイマスの話をしていただけであった。この頃に話していた相手は恐らく多くが京大志望であり、一年を通して結果的に東大志望と話す機会はあまりなかった。


 このような生活をしている間に、私はすっかり英語のことを忘れていることに気がついた。英語は6月に英検の勉強をしたのが最後、もう数ヶ月ほど一切触れていなかった。しかし、そうは言っても英語の勉強をやる気は仰天するほどこれっぽっちも起きなかった。ここで私はある名案を思いつく。いや、迷案というべきか……最早愚策というべきであろう。英語を捨てたのである。私は6月を最後に入試本番まで一切英語の勉強をしなかった。単語帳を開くことさえ一度もないほど徹底して無視したのである。その代わりに、大学内容を含めなるべく多くのことを理解して、数学と理科で得点するという極度に理系科目偏重な作戦に打って出た。この戦法を自分で「数理で殴れ作戦」と呼んでいた。


 そうこうしているうちに11月がやってきた。悲劇の始まりである。私は受験勉強に引き戻された。10月の現実逃避の結果、またしても痛い目に遭うのである。まるで学習しない、まさにくそ浪人であった。


 初めに受けた京大オープンで私は大失敗する。結果的にはB判定だったと記憶しているので、もしかすると大失敗というほどではなかったのかもしれない。しかし私はこのときのあまりに酷い手応えに相当な抑鬱状態に追い込まれた。それからの一週間は毎日鬱ツイートを大量に垂れ流し、とてつもないフラストレーションを溜めながら、額に絶望と書かれてあるかのような表情をして机に向かった。Twitterで他の浪人生を見るのがつらくなった。受験勉強をやめて一年フリーアルバイターをやり、事実上の三浪になることなどを考えた。海を見に行ったり城を見に行ったりしたが、それも大阪市内を彷徨っただけで、遠くの田舎まで行くほどの大胆な現実逃避をすることさえできない弱い人間であった。東尋坊への行き方を真面目に検索したが、実際に訪れることはもちろんなかった。あまりに惨めな姿を全世界に発信するのも恥ずかしくなり、ついぞ浪人生と繋がっているTwitterのアカウントに浮上することをやめた。

 

四章 数理で殴りたくて(2018年11月~2019年1月)

 私は無宗教かつ無神論者であるが、このときだけは素直に神への懺悔という発想が湧き起こった。自己似内在する罪の意識に基づく懺悔である。神とは哀れな人々にとっての都合のいい頼みであると私は思う。放心した面持ちで、ただひたすら懺悔をして、心を入れ替えようとした。


 ここからは9月頃のスタイルに戻った。あくまで受験勉強がメインであるが、より正確な理解のために大学内容を調べつつやるというスタイルである。このスタイルが、私にとっては最も成果を挙げられ、最もモチベーションを維持しやすい最適なスタイルであった。図書館にいるときは『道標』を解きながら、電車での移動中などに『EMANの物理学』や『物理のかぎしっぽ』といったサイトを読み漁った。11月にひたすら物理をやった結果、秋の東大実戦で物理全国32位になったことは、模試の結果として唯一自慢できることである。そこだけくりぬけばさながら理三志望かのような圧倒的な出来のよさに震えた。全体の判定は依然としてC判定であったが……。


 この頃には京大NFに遊びに行った。こちらは近所なので行きやすい。二日間参加して、オーイシマサヨシのライブを見たり、こーりーとそらそらの声優トークショーを見たりするただのオタクと化していた。同時に京都市内の散策をしてかなりの距離を徒歩移動した。こちらは終始単独行動をしていたが、非常に楽しかった。


 11月頃にやったことは、大学内容を含む力学及び電磁気学であった。東大実戦が終わってからは、特殊相対性理論を学び、解析力学を少し齧った。それから前述の位相空間論を中途半端にやった。一般相対性理論は数学の式変形の部分で躓き、テンソル解析のことを少し調べたりもしたが、これらをやり出すときりがないし、流石に受験物理との親和性がなくなってきているので中断した。これでも10月とはまるで違う。受験勉強自体も間違いなくしていたし、確実に学力は伸びていた。真面目に大学内容を勉強する作戦はようやく実をつけつつあった。「数理で殴れ作戦」は十分通用するのではないかという予感がした。何よりもモチベーションが途切れることがないのがよかった。受験勉強だけをしようと思った結果として寝転んでゲームするだけの生活に陥るよりは遥かに有意義であった。そして私はもう一度志望校を東大に変えた。


 心を入れ替えたと言っておきながら、この時期から突然カラオケにはまりだして、平均週一程度のペースで通うようになった。人はなかなか変われないものである。この程度の息抜きならば許容範囲であろうと考える甘い自分がまだまだしぶとく居座っていた。結局、国立前期試験直前の一週間までカラオケに行き続けることとなる。息抜きも確かに重要であるが、私が息抜きと受験勉強のバランスをうまく取れていたかは甚だ疑問である。


 さて、ここまでの長ったらしい文章の中で、未だ一切言及していない科目がある。化学である。化学は8月に少しだけやりかけたがすぐにやめてしまい、事実上12月になるまで放置し続けることになった。模試の結果で化学の成績が目も当てられないものであることは承知していた。12月になると、駿台の『有機化学演習』と、赤本のシリーズである『東大の化学25カ年』をやった。化学を勉強したのは基本的に12月のみであり、問題集としてやったことはこれですべてである。後は『受験の月』というサイトを時々読んでいた。私の勉強スタイルは、インターネットのサイトをかなり活用するものであった。ちなみに、『東大の数学25カ年』『東大の物理25カ年』については現役の頃に大部分をやっていて、過去に解いた問題を軽く復習する程度にしかやらなかった。


 年末に差し掛かって、物理・化学ともにかなりの実力がついてきたと私は考えていた。時間を計って東大の過去問を解いてみて、自己採点ではあるが80点台にまで到達した。年末頃の理科の得点の高さ、本番までの時間の少なさ、それから二ヶ月ほど数学をあまりやらなかったことへの焦りが相俟って、私はここで理科を中断した。この時点では、理科に対して自信があったのである。それから、大学内容との両立も中断して、ここからは大学入試用の問題集のみを解くようになった。


 理科に関しては受験内容と大学内容の両立を割とうまくやっていると思っていたが、一方で数学に関してはここまで大学内容ばかりやってきた。ここまで受験用の数学の問題集をきちんとやることはしてこなかった。数学自体はよく勉強していたが、それらはほとんど大学内容だったのである。


 数学の問題集を検索して調べたり、浪人生たちによってTwitterに流れる情報を見たりしているうちに、私は一冊の問題集に出会う。『入試数学の掌握』である。三部作なので、正確には三冊に出会ったというべきであろうか。目次を見ただけで気分が昂った。大学受験の範囲でできる限り数学の論理構造に着目しており、一般的な数学の問題集とは似ても似つかない構成と問題選定になっているのである。これは受験数学界のブルバキではないかとすら思った。私は予備校講師などにまったくもって詳しくないので、似たような教え方をされる先生は他にいるかもしれないが。


 年末に『掌握』の一冊目を購入してからはひたすらこの問題集に取り組み、解説を熱心に読んだ。丁寧に何周も読み込んだのはこのシリーズくらいであったろう。私はセンターのことをすっかり忘れていた。つい楽しくなって入試数学を解き続けて、気がつけばセンター一週間前であった。

 

五章 みっともなくてギャンブラー(2019年1月~2月)

 センターを捨てた。そう断言して差し支えないほどである。倫理・政経に関してだけは、センターでしかしない科目であるから、流石に少し早めからやっていたが、それでも年明けからである。その他の科目は本当に一週間前になってからやり始めた。とはいえ、やったことは倫政と数学の過去問を解くことで、国語、英語、理科に関してはついぞ一度も過去問を解かずに本番を迎えた記憶がある。完全にセンターをなめていた。それでも一日目の科目に関してはそこまで悪くなく、現役時とほぼ同じ得点を取った。自己採点を一日目の夜の時点で済ませ、ここで勝手に安心してしまった。問題は二日目であった。数学と理科は今まで二次の対策をよくやってきたし大学内容も結構やったのであるから、安定して9割取れると思い込んでいた。けれど、実際にはありえないほど酷い結果であった。時間が足りないのである。私はセンターの厳しい時間配分に惨敗した。自己採点をして顔が青ざめた。自己採点の結果はリスニング抜きで726点であった。去年から54点も下がった。私よりセンターの点の下がり幅の大きい浪人生がいれば申し出てほしいくらいである。少なくとも自分のTwitterのタイムラインでは、そこまでの人は一人として見かけなかった。


 750点を下回ったら東大への出願を諦めて、京大または東工大に出願するつもりをしていたが、それは「まさかこれより低い点数を取るはずがなかろう」と高を括っていたがゆえであった。しかし今や、それを遥かに下回った。これで東大志望だとか京大志望だとか言ったら笑いものにされそうだ。私は志望校を迷った。一旦東大を無視して、京大か東工大かを迷ったのである。それから出願までの間は主に京大数学と東工大数学の過去問を解いていた。それから、一浪で京大か東工大に受かった後に、そこで仮面浪人して二浪で東大を目指す計画を立てていた。理三の合格者平均を超えるくらいの雲に届かんとするほど高い目標を引っ提げて。もちろんこれは極端な目標であって、実際には二浪してもほとんど達成できる気がしないけれど。


 この時期の目まぐるしい出願大学の変遷を説明しよう。理三病になりかけながら数学の問題を解いていたが、この頃の感触で、京大数学より東工大数学の方が難しいように感じ、東工大に受かる気がしなかった私は京大に出願することにしたはずであった。ちなみに京大数学は大体4完くらいの出来であった。しかしそうなると、二浪で京大仮面東大志望ということになり、これが何とも無駄に思えた。今にして思えば、一度京大に進学してからもう一度東大受験をする気は到底起きなかったのではなかろうか。京大は素晴らしい大学である。よって私はセンターリサーチの結果と入学後の東大の進学振り分け制度による学科選択に望みを託して東大理二に出願することにする。


 一度は出身高校にもそのように伝えて調査書を作ってもらったが、まだ何となく釈然としない気持ちであった。東大が平日は毎日ホームページにその日時点までの出願数を掲載しているということを知り、毎日それを眺めては足切り点予想をするギャンブラーと化していた。あれほど過去の出願数と足切り点との相関を考察していた受験生は他にいないのではないかと思うほどである。それは出願締切日の二日前まで続いた。


 そして運は私の味方をする。ぎりぎりまで粘って出願前に最後に見た東大理一の出願数が例年より少ないのである。翻って理二は例年と比べて決して少なくない。私は最終的に、「今年の理一の足切り点は700点を下回る」「今年は理一より理二の方が足切り点が高い」という二つの予想を立て、急いで出身高校に電話を掛けて出願校を変更し、一度は糊付けした封筒を開けて志望科類を書き換えて、理一に出願した。一世一代の大博打を仕掛けたのであった。


 ちなみに、他に出願したのは後期東北大理学部だけであった。私立と中期は一つも出願しなかった。これは以前から決めていたことであった。滑り止めを受けて適当な私大などに言ってもどうせ仮面浪人するなら意味がないと考えたからであって、後期東北に関しては滑り止めとは考えていなかった。しかし後に後期旧帝でも仮面して東大を目指すと言い出し、ここに学歴コンプレックスはほとんど極まった。

 

六章 約束の地・本郷(2019年2月)

 出願から足切り発表までの間は気が気でなかった。出願締切日に更新された出願状況の最終発表を見て、私の予想は大体当たりそうだとは思っていたが、流石に不安を拭えないのは想像に難くなかろう。情けない話である。出願を終えてからは、また『掌握』に戻って、この本の演習問題を解き続けた。数学力は確実に向上していたが、『掌握』が旧課程時代に出版されたままの内容であることもあって、複素平面だけは演習機会がほとんどなく、結局最後まで十分に力をつけることができないまま終わった。代わりに旧課程の行列の問題(当然、東大・京大レベルである)に関してはそのほとんどを完答できるようになっていた。


 ゆっくりと時は流れ、ついに足切り発表の時が訪れた。結果として、前述した私の足切り予想は的中し、私は足切りを回避することに成功した。自分にはギャンブラーの才能があるのではなかろうかと思ったほどであった。しかし、本当はこんな賭けに出る必要のないだけの確かな実力をつけるべきであることは言うまでもない。とまれこうまれ、私はセンター8割で東大理一を受けることになるのであった。


 時は急に加速したように感ぜられた。足切り発表から本番までは本当に一瞬の出来事であった。私は一週間前になって、年末以来放置していた理科に戻って最終確認をすることにした。そこで理科をかなり忘れていることに気づき、パニックに陥った。大慌てで今まで解いた『道標』の問題を復習した。化学に関しては結局ほとんど復習すらできずに本番を迎えることになってしまった。足掻いた。されど、私が一浪時の理科の全盛期と目する年末頃の学力に戻るまでには至らなかった。


 それから、英語を捨てる代わりに私は東大の外国語試験の言語を差し替えることにした。一部差し替えの方であって、大問1~3までを英語、大問4~5を他の言語にするものである。この構想は一年前から存在していたが、しかと決定したのは比較的直前になってからであった。このことに関しては参考にならないかもしれず申し訳ないが、私は完全なる趣味かつ独学で中3~高1の頃にフランス語をやっていた。それを入試で生かそうと考えたのであるが、いかんせんそれを齧っていたのは3年も前のことであり、飽きてやめてからは大部分を忘却していたのであった。これに関しても慌てて単語帳と文法書を買って勉強し直したのであるが、結局間に合ったとは言いがたい。しかし、この外国語一部差し替え戦法にはもう一つのメリットがある。それは東大英語の時間が余るということである。東大の英語は時間が厳しいことで知られ、私のような英弱にとっては時間内にすべての大問に真面に手をつけることは不可能に思われた。事実、現役の頃は外国語の試験を英語のみで受けて、時間が圧倒的に足りなかった。しかし、英語の後半を他の言語に差し替えることによって20分前後の時間短縮が見込めるのである。このメリットだけでも差し替えの意味はあると考え、結局東大フランス語の問題がろくに解けないままにフランス語差し替えを実行することにした。この戦法は、仮面浪人には薦めやすいが、現役生や純浪にはなかなか踏ん切りがつかないであろうから、素直に英語を勉強した方がよいかもしれない。ちなみに、繰り返しになるが私は純浪であった。


 入試は目前である。かねがね目標点は定めていたのであったが、直前になって最終的な目標点を設定した。この時点で東大数学の過去問はおよそ3完2半程度であった。理科は忘却したままであって年末よりかなり得点は落ちていたが、年末頃に立てた目標を捨てきれず、結果無闇に高い目標を持ち続けた。国語と英語はついぞ一切過去問を解かなかった。フランス語は過去問をいくつか解いたがよくわからず、半分取れればいいというくらいのいい加減な考えであった。上記の状況を元に、目標点は以下のように決めた。先に言っておくが、理三病になりかけつつあったがために目標点がつりあがっているだけで、実際にはこの目標点にまるで届かなかった。しかし、この記事の趣旨に沿って当時の発言を赤裸々に書き残す。

 

センター(東大換算) 88.7/110

 

目標点

国語 50/80
数学 80/120
物理 60/60
化学 40/60
英仏 70/120

合計 388.7/550 

 

 前日の夜もホテルでずっと理科の内容の最終確認をしていた。正直、間に合わないのはわかっていたが、少しでも足掻いていたかった。前日の夜どころか、当日の朝もである。完璧主義的な性格の私にとって、余裕合格でないということはそれだけでかなり気持ち悪いことであったが、またそのような贅沢を言えるほどの実力もないということも弁えていた。きっと他の大半の受験生も同じように万全の状態ではなく、悔しいが人生とはそのようなものなのであろう。


 2月25日、一日目の朝、目覚めた時は不思議な感覚であった。ああ、私は一年経ってここに帰ってきたのである、と。地べたを這いドロ水すすってでも東京大学に戻ってきたのだ。本郷三丁目駅を出て、予備校や各地の高校が幟を掲げる道沿いを正門まで歩きながら、この一年のつらく苦しかったことの数々を思い出して込み上げるものがあった。それと同時に、「日本一」が目の前にあるという事実の恰好良さに酔いしれる思いがした。二日とも、入室終了時間ぎりぎりに受験会場へ滑り込んだ。もしかすると数分遅れていたかもしれない。それでも試験開始まで30分もあって、この間に精神統一をすれば十分であった。


 まずは国語である。現代文と漢文は去年と似たような感触であったが、古文は読みやすく感じた。国語は去年同様時間も余り、見直しもしっかりすることができて、まずまずの点数が見込めそうであった。


 次が山場の数学である。ほとんどこれに賭けてきたようなものであったからだ。直前まで『掌握』を読み込んだ。『掌握』や過去問で学んだことを反芻して、落ち着いて大問1の積分計算をすることから始めた。それから大問2までを完答したが、そこからどうしても3問完答することができずに数学が終わった。自分の中では4完したいくらいであったから、このショックは大きかった。2完2~3半くらいであった。余裕合格の目標は潰え、よくてもボーダー付近の合格であろうと思ったが、まだ可能性がなくなったわけではない。落ち着いて理科の復習をしながら二日目に臨んだ。


 二日目も入室終了時間頃に滑り込んでの理科。これは大失敗に終わった。とにかく物理がわからないのである。私は東大実戦の物理で53点という高得点を叩き出して以来、すっかり物理に自信を持って油断していたのであるが、その後の忘却と今年の物理の難化によってあっけなく打ちのめされることとなった。化学にしても、頼みの綱であった有機化学がよくわからず、去年より低いのではないかと思うくらいの絶望的な結果となった。この理科の失敗は今でも引きずっている。私はすっかり理科の自信をなくし、己の頭の悪さに悩みながら東京大学に入学することになるのであるが、どうか嫌味などと取らないでほしい。私の悩みは真剣である。


 最後の外国語。予定通り一部をフランス語に差し替えて受験した。フランス語の問題の方は全然わからず、特にフランス語の和訳の答案などは採点者を激昂させるくらいであったろうが、あの問題の難易度を評価している人を見かけるはずもないので易化か難化かさえわからないままである。しかし、そのおかげで英語に対して十分な時間を確保することができ、時間さえあれば英語は意外と解くことができたのであった。理科の失敗のことを思うと、英語がうまくいって何とか合格最低点を取れるかどうかというくらいであったから、いずれにしろ最低点付近であると確信した。


 そしてついに、東大入試が終わったのである。この一年分の全てが、今終焉を迎えたのである。ふわふわした思いで、Twitterに誰か解答速報を上げていないか、それから予備校が解答速報を出していないかをひたすら検索し続けていた記憶があるが、一日目はともかく二日目の結果に関してはそんなにすぐに出るものではない。試験が終わってから東京駅に直行したが、新幹線に乗るまでまだ時間があったので、秋葉原をうろついてから新幹線に乗った。Twitterで掻き集めた情報で、新幹線に乗る頃には英語以外の自己採点は大体完了していた。新幹線に乗ってからもずっと自己採点の話をしていた。去年は不合格を確信して自己採点など一切しなかったし解答速報など一切見なかったから、合格の可能性があるだけまだしも幸せなことであった。新大阪に降り立った時、それから梅田で乗り換えをした時は地元の懐かしさに感極まる思いであった。地方の人は皆同じ思いであったかもしれない。数日のことであっても、その間の緊張が相当なものであったという証であろう。ただいま、大阪。

 

七章 合格ですって(2019年2月~3月)

 東大の合格発表まで、後期の勉強をする気はろくに起きなかった。受かったかどうかまるで予想がつかない程度の最も動きづらい状況にあって、どっちつかずの気持ちのまま、なすところもなく日は暮れた。大学内容をやろうとしても、少し齧っただけで続かなかった。どうせならいっそ、と昼を丸ごとヒトカラに消費して一日を潰したりもした。流石に仕方のないことであるが、毎日合否のことを考えて繰り返し繰り返し自己採点をした。最終的に、私が獲得した総合点が310~320点くらいで、合格最低点は310点くらいであろうという希望的観測を抱くことで精神を落ち着けんとした。勉強をするとかえって合否のことが気になったから、シャニマス1stのLVに行ったりして気を紛らせ続けた。なお、一年分だけ解いた東北後期数学は6問構成で5完であったので、東北後期に受かる可能性は割とあると考え、仙台暮らしの想像もした。


 その日は魘された。合否発表の夢を見ながら、発表直前の緊張した時間を少しでも縮めるために何度も寝直した。数光年くらい遠い場所にあると思われた3/10がついに訪れたのであった。エンドレスエイトのように3/9までの日々を繰り返して前へ進めないということもなかった。私は時間というものが間違いなく一方的に未来へ向かって進んでいることに感動した。ここにラグナロクは訪れた。


 知っての通り、結果は合格であった。受かる時は案外あっさり受かったように感じるものであるが、改めて一年の経験を振り返ってみれば、どこがあっさりなのかと呆れるほどである。理一の合格最低点は334.6667点であった。阪神は関係ない。私は目を疑った。334点もあるとは思えなかったからである。自分のセンターの得点を考えれば、二次試験のみで245点はないとおかしいことになるが、果たしてそんなにもあったのかしら。釈然としないまま、新幹線に飛び乗って本郷へ向かった。


 Twitterで合格報告をし、私のような弱小アカウントからすれば信じがたいほどツイートが拡散され、また多くの人から祝いの言葉をいただいた。一つ一つに返信をしながら、私は一つの大きな目標を曲がりなりにも達成したことへの喜びを噛み締めた。夕方になって既に閑散としていた本郷キャンパスに辿り着いて、掲示板にも確かに自分の受験番号があることを確認した。そこはもう志望校ではなく、母校であった……と当時の私は思ったが、流石に気の早いことである。それからは下宿探しや入学手続きなどをしつつ、Twitterの友達と会って話したりした(合否結果を報告すべきリアルの友達など存在しない、私にとってはTwitterでの交友関係がすべてであった)。浪人生活を無事に終えた私は……。果たして、これでよかったのであろうか?

 

終章 私は私を認めない(2019年3月)

 私は確かに東大に受かったものの、決して解放感で満たされたりすることはなかった。東大に受かった実感がないからではない。私は完璧主義である。贅沢な悩みだと感じて気を悪くされるかもしれないが、私は、入試までに数学と理科において自らの認める水準にまで至らなかったことがとにかく悔しかったのだ。数理で殴ると言っておきながら、特に理科において大失敗をしでかし、たまたま国語と英語が案外得点できたことに助けられただけなのではないかしら。そう思うほどに私は数学と理科へのなけなしの自信さえもなくした。それから、3月になって今までやってきた大学レベルの数学や物理のことを思い返そうとすると、かなりの部分を忘却していることに気づくのである。辛うじて、B1レベル数学だけは比較的よく記憶に残っているという程度であった。さらにまた、東大合格という目標は他人が見てもわかりやすいような仮のものとして設定してあっただけであって、その学歴などは欲するものの本質ではないということをも思い出した。さらば、自分がやってきたことは一体何だったのであろうか。私は連日思い悩んだ。友人や親戚から合格のことを祝われ褒められるほどに悩みを強めた。そして私は、表向きはなるべく東大アピールをしないようにしようと思うようになった。自分はまだまだ道半ばであることを思い出し、一から数学や理科の勉強をやり直していつか本当に賢くなろうと心に誓った。私にとって「東大生」とは、軽くて重い称号となった。

 

 

合格までに実践した勉強スタイル

【重要】この節の初めにお読みください

 ここからは、私が実践した勉強法についてまとめることにする。繰り返すが、これは勉強法を指南・推奨するものではない。私の恐らく風変わりと思われる勉強スタイルの根底にあるものは、「好きなことだけをして生きる」というわがままのみである。言われたことを素直にやることができない私のような人間が、開き直ってとことん我が道を行くことに決めた結果であるから、もし同じように「受験勉強」というものを受け入れられない方がいれば、あくまで参考程度に読んでいただきたい。もし本当に私と同じような性格の人間がいるならば、そんなあなたはこの記事もまた鵜呑みにするなどありえないであろう。私がここで最も強調したいことは、「勉強法を模索せよ」ということである。型破りなあなたを私は応援する。


大学内容を学ぶなど、発展学習を重視する戦法

 これが最も大きな影響があったと私は考えている。結局入試本番頃には定着していなかった知識を忘れてしまうという失態をも犯したが、大学数学などを学習することの最大のメリットは知識が増えることではない。例えば、高校数学と大学数学はまるで別物だなどとよく言われるが、計算重視の高校までの数学とは違う、より厳密かつ抽象的な論理を追いかけることに徹する大学以降の数学に触れることで、入試数学についても見通しがよくなり、論理の観点から整理しやすくなると思うのである。このことは『入試数学の掌握』という入試数学の問題集もたいへん参考になる。物理や化学なども同様、解析学などを導入できないがために公式暗記に終始している節のある高校物理や高校化学を脱して、より一般化された理論を学ぶことによって物理現象をより正確に把握できるようになると思うのである。ちなみにこの記述は私がまだ大学に入学してすらいない浪人生のうちに抱いた所感であって、浪人当時の思考を正誤にかかわらず赤裸々に書き残すことのみを目的としている。そして、私が偉そうなことを言えるほど勉強してないことなど百も承知である。

 

あえて宅浪を選ぶということ

 これ自体は恐らくそれなりにメジャーであり、もしかすると3月頃に一瞬考える浪人生は多いかもしれない。はっきり言って、予備校に行けば受かるとも宅浪すれば受かるとも言えないし、またどちらの方が受かりやすいということもない。予備校が向いてないと感じた人は思い切って辞めてみるのも手であるが、宅浪して受験勉強を続けられるかもまたやってみないとわからないことである。ただ、私のような極端な人間は、図書館で受験勉強をしつつ、そこにある大学レベルの教科書も開いたりして、勉強に疲れたらカラオケに繰り出したりラーメン屋に並んだりするという自由な生活を割と楽しんでいた。時間割がないというのは素晴らしい。拘束されないということが私にとっては非常に重要なことであった。

 

問題集の冊数を少なくする戦法

 私は浪人生であったから、現役生のうちに既にそれなりに問題集などを解いたりはしているのであるが、それでも一浪の間に取り組んだ問題集の数は一般的に見て少ないほうであろう。それは、無闇に問題集を買い込まず、一冊一冊から丁寧に学びを得る方が効率的であると考えた結果である。ただ、このことにより勉強時間を削りすぎては本末転倒である。かける時間の長さは本質ではないものの、自分に合った問題集を見つけたら、それを丁寧に何周もできる程度の時間を確保する必要があると私は考える。私は結果的に半年程度の勉強で受かったということになるのであろうが、そんなものはあくまで結果論であって、決して美談にしてはならない。なぜなら、受験勉強の時間を削りすぎて、心ゆくまで周回・復習できなかったからである。


 さて、私が一浪の間に真面に取り組んだ入試用の問題集はこれだけである。


・『入試数学の掌握』
・『理論物理への道標』
・『有機化学演習』
・25カ年(東大の理系数学/東大の物理/東大の化学)
・東大の赤本


 後は京大と東工大の数学を何年分かずつ解いたくらいである。現役の頃に解いた問題集を見返すことは、やる気が起こらず結局ほとんどしなかった。他に細々と序盤だけやってやめた問題集などが一切ないわけではないのだが、それらは本当に少量なので割愛させていただく。とにかく、あれこれと問題集を買い込んで解き散らかすよりは、一つの問題集を何度も復習して読み込んだ方がよいという言説を信じて、最低限のことしかやらなかったつもりである。それにしても、ここまで少ない冊数しかしなかった受験生をTwitterのタイムラインで見かけたことは未だない。国語と英語を一切やってないせいでもあろう……。

 

二次試験の英語の一部を他の言語に差し替える戦法(東大向け)

 私は東大と京大以外の入試をろくに調べたこともないので他大はよく知らないが、このような試験形式が存在するのが一般的だとはとても思えない。とりあえず、東大志望者にとって少しでも参考になれば幸いである。


 東大外国語には三通りの受け方があることはもしかするとあまり知られていないかもしれない。英語のみ、英語と他の言語のミックス、英語以外の言語のみ、という三通りである。外国の高校まではよくわからないが、ほとんどの受験生は一応それなりには英語に触れてきたであろうから、一番後ろの英語を丸ごと他の言語に置き換える戦法は流石に選択する気が起きないであろうし、私もできなかった。英語の一部を差し替えるやり方が、恐らく多くの日本人の受験生にとってまだしもやりやすい。


 差し替えられる箇所は、東大英語の大問4と大問5である。また、差し替え可能な言語は、フランス語、ドイツ語、中国語、韓国朝鮮語のみである。私はシンガポール帰りの帰国子女であるが、英語以外に中国語もシンガポール公用語(さらにマレー語とタミル語がある)となっているにもかかわらず、何の縁もゆかりもないフランス語に差し替えたというカオスな事態になっている。対象は主に在籍大学で第二外国語を履修しているであろう仮面浪人になるかと思うが、私と同じ純浪の方でも一考の余地はある。……あるかしら?


 さて、この戦法のメリットは二つある。

 

東大英語一部差し替えのメリット
・そもそも英語以外の言語の問題は英語の問題よりは遥かに簡単である
・問題量が少ないので時間短縮に繋がり、英語の大問1と大問2に時間を回せる

 

 まず、英語以外の言語の大問4と5は、英語のそれより遥かに簡単である。簡単であるというのは、英語力と、差し替える言語の力とが同じくらいの人から見ればということである。私の場合は、自分のフランス語の能力が、既に酷い英語に輪をかけて低かったので、この恩恵を受けることはあまりできなかった。しかし、もう少し真面目に勉強をしていたならば、英語を勉強するより短時間でその恩恵を受けられる状態に至るであろうと思う。


 東大英語は時間が厳しいことで有名であるから、なかなか時間内に満足に解き切ることができずに困惑している受験生もいると思う。数学や理科と違って、英語はとりあえず全箇所埋めたいところであるが、それすらできないほど時間が厳しいと私は感じていた。そういうときに、昔趣味で少しだけフランス語をやっていたことを思い出したのである。学校の定期試験に向けた勉強だけをするのではなく、色々なことに手を出しておくと、思わぬところで活かせるものである。ちなみに私はろくに定期試験向けの勉強をしない怠惰な生徒であった。


 私はこのような特殊な事情の中で、ほとんど時間短縮のためだけに差し替えを実行したので、具体的な勉強法について書けることがあまりない。もし差し替えに興味のある方は、より詳しく勉強法や過去問の仕入れ方などを書いていらっしゃる方のサイトが存在するのでそちらをあたってもらいたい。英語以外の外国語に今まで一切触れたことがなく、かつこれから在籍大学などでやらされるということもない方は、素直に英語をやった方が早いかもしれない。ちなみに、大したことはないのであるが、外国語差し替えによって東大に合格すると、入学手続の時期に留学生や推薦合格者に紛れて英語のプレースメントテストを受けさせられる羽目になることを追記しておく。

 

後書き

 以上で私の合格体験記は終わりである。文章を短くまとめる能力が著しく欠如しているために、恐ろしく冗長な自分語りが続いてしまったことを申し訳なく思う。


 それから、これは自分の中ではかねがね気をつけているつもりなのであるが、私の後悔や反省や自己否定はかなり真剣なものであるから、どうかいわゆる自虐風自慢のようには取らないでいただきたい。しかし、このような自分語りをしようと思う時点で承認欲求が存在していることは確かであるから、後悔や反省の方が大きいものの、素直に成功体験を褒めてほしいと思う感情がないわけでもないのである。複雑な感情を私は持て余した。ゆえに、少しでも誤解を避けるために、せめてそれら相反する感情をここに両方明記しておくことにする。


 これは特別になりたくて足掻き続けた私の苦悩そのものである。一般的な合格体験記で描かれるような受験生とは恐らく大きく乖離しているであろう私の姿が、少しでもあなたの記憶に引っかかって、勉強法を模索するきっかけにでもなれば望外の喜びである。これにて私の虚しい自己顕示欲は満たされた。

 

【追記】得点開示について

 センター試験及び東京大学の二次試験について、得点開示が届いたので追記する(2019年4月25日)。

 

センター試験 
 倫政  84
 国語 130
 英語 175
 数ⅠA 88
 数ⅡB 79
 物理  90
 化学  72
 合計 718(東大換算 87.7556)

 

東大二次
 国語  40
 英仏  69
 数学  82
 物理  38
 化学  23
 二次合計 252 

 総合成績 339.7556

 

 ぎりぎりである。最低点と5点ほどしか差がない。それから、自己採点より少し低いセンターの結果には本当に血の気が引くような思いをした。もし万が一理二に出していたら……足切りを食らっていたし、そうなれば生きていた保証がない。あまりの絶望感と自己否定で自殺していた可能性が高いであろう。私にとっては、今年に限って言えば理二より理一の方が簡単だったかのような状況を生み出してしまった。これは本当に、あまりにも、あまりにも危ない賭けをした。する必要などないが、二度と大学入試などしないと心に誓った。


 さて、東大の二次試験の結果についてのみ、簡単に自己反省を加えて追記を、そして私の入試を完全に終えることにする。センターについては、そもそも勉強をほとんどしなかったので反省も何も言及できることがない。それでは、開示の葉書と同じ順番で上から順に考えてゆく。


 まずは国語である。この成績は東大理系にとってかなりありがちな普通の点数であろうと思われるが、私が気にかかるのは、去年との得点の違いである。去年唯一国語だけ成績がよく50点であったが、今年は40点である。しかし、試験場での手応えには去年と今年で大して差を感じなかったし、また国語の勉強を一切しなかったということも共通している。本当によくわからない……受験生の間の相対的な出来のよさによって差がつくのであろうか。それもここまで大きな差ができるようにも思えないが……まあ国語は差がつかない科目であると言われがちであるし、これに関してはこれ以上深入りしない。


 次は外国語である。私は英語の一部をフランス語に差し替えたので、上には科目名として「英仏」と書いた。もちろんこんな科目名は存在しない。外国語全体の成績としてのみ開示されるので、英語とフランス語の得点内訳などはまるでわからないが、ただ一つ言えることは、ろくに英語を勉強してもいないのに去年から30点以上も伸びるなんてことは、英語のみで受験していたなら考えがたいことであるから、これは専らフランス語のおかげであろう。かといってフランス語の出来がよかったとも思えないから、これは差し替えにおける時間短縮というメリットがかなり大きく効果を発揮したに違いなかろう。時間短縮を果たして英語の大問1~3にかなりの時間を割くことができたために、そこまで英語力がなくともそれなりにしっかりとした回答が書けたのであると思う。それでもこのくらいの点数で、恐らく合格者平均ほどもないと思われるが……それでも私にとっては、ほぼ目標点達成と言っていいほど、予想外に高い点数であった。


 次はまだしも一番やってきたはずの数学である。試験場では失敗したと感じ、よくて70点くらいかと思っていたが、どうやら割と採点は甘いらしい。おかげで80点という目標点を達成することができたが、よく考えれば4完などしようものなら残り2問の部分点を含めて100点ほどになるのであろうから、やはり目標達成と言っていいのかは怪しいところである。具体的な試験結果としては、落としたくない典型問題を解けたところに部分点を足していったという感じであろうから、当然、特段数学について飛び抜けるには至らなかった。流石にこれから入試数学をする気は起きないものの、前述の通り、大学の数学について一からしっかり学び直し、いつか本当の数強になりたいと願うばかりである。


 ここからは大問題の科目である。物理は自分の予想よりは高い点が返ってきたので、やはり受験生全体の出来が芳しくなかったがためにそれなりには下駄を履かされたのであろうと私は考えている。しかし、それでも目標には遠く及ばない点である。本当に自分を情けなく思うばかりである。秋の東大実戦以降、物理への自信を高めて、満点狙いなどと言っていたかつての私の面影などそこには一切なかった。これでは平均的な東大生でしかなく、どこにも物理が強い要素など存在しない。わかりきっていたことなので、結果が返ってきた後に再び塞いだりすることはなかったが、それでもかなり大きな悔いの残り部分ではある。これも数学同様に、大学の物理を一からしっかり学んで、次こそは自信を持って物理が得意であり好きであると言えるようになりたい。


 最後に、化学であるが……これは最早低すぎて言及したいことも思い浮かばない。点数が低すぎるというのは、ほとんど何もかも壊滅しているということであるから、反省も何も、反省点はほぼすべてである。化学に関しては、一応12月頃だけやった記憶があるが、その頃にはそれなりに東大化学が解けるようになっていたというのも嘘のような話である。去年の年末、この頃は確かに理科が少なくとも80点台は取れそうな勢いであったが、そこから放置を続けた結果、今年の理科61点という悲惨な末路に終わってしまった。


 これから書くことには、気を悪くする人もいるようであるが、受かったら受かったで、もう二度とやり直せない、取り返しのつかない低い点数で戦いを終えることになってしまい、そのことへの心残りのようなものもないではないのである。もちろん、落ちるよりは受かる方が遥かにいいことであるし、落ちた時の計り知れない後悔を思えば、どんな点数であろうとも、受かっただけましであることは事実である。しかし私は、ここで決して慢心してはいけないと思う。何もかもが完璧な結果で合格したわけではないし、受かったからといって今までの勉強の軌跡や得点開示を手放しで褒め称えるのも馬鹿げていると感じるからである。これからも謙虚に勉学に励み、それから勉強以外の趣味についても色々と挑戦して、楽しみながら視野を広げていきたいと思う。ああ、ようやく学歴コンプから抜け出して、素直に自分の人生のことを考え、素直に趣味を楽しめるようになりそうだ。これにて、私の大学入試は本当に終わりである。ここまで読んでいただいてありがとうございました。それでは、次の場所がもう少し先の未来で私を待っているから。